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年間映画興行収入ランキング1981年〜『炎のランナー』ほか

「TAP the FLYER」第2回は、1981年の映画興行収入をランキング。 【1981 TOP 20 MOVIES】 *ランキングと金額は「全米Box Office」をもとに作成。 ❶『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(Raiders of the Lost Ark) $248,159,971 ❷『黄昏』(On Golden Pond) $119,285,432 *第54回アカデミー主演男優賞/ヘンリー・フォンダ、主演女優賞/キャサリン・ヘプバーン ❸『スーパーマンII 冒険篇』(Superman II) $101,300,000 ❹『ミスター・アーサー』(Arthur) $95,461,682 *第54回アカデミー助演男優賞/ジョン・ギールグッド ❺『パラダイス・アーミー』(Stripes) $85,297,000 ❻『キャノンボール』(The Cannonball Run) $72,179,579 ❼『きつねと猟犬』(The Fox and the Hound) $63,456,988 ❽『炎のランナー』(Chariots of Fire) $58,972,904 *第54回アカデミー作品賞 (こちらのコラムをお読みください) 炎のランナー〜ヴァンゲリスのシンセサイザーと英国トラッドの香り ❾『007 ユア・アイズ・オンリー』(For Your Eyes Only) $54,812,802 ❿『四季』(The Four Seasons) $50,427,646 ⓫『バンデットQ』(Time Bandits) $42,365,581 ⓬『..
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ジョニー・ウィンターの名を有名にしたフィルモア・イーストの奇蹟

1969年にコロンビア・レコードからレコードをリリースした白人のブルース・ギタリスト、ジョニー・ウィンター。 その契約金は当時では異例の大金で、そのことから日本では“100万ドルのブルース・ギタリスト”という触れ込みで宣伝された(実際にはハーフ・ミリオン、5~60万ドルほどだったようだ)。 契約のきっかけは1968年の12月13日、ニューヨークのライブハウス、フィルモア・イーストで演奏したことだった。 この日はマイク・ブルーム・フィールドとアル・クーパーの出演が予定されていた。 2人はスティーヴン・スティルスを加えた3人で『スーパー・セッション』というアルバムを7月にリリースして話題となっていた。 元はマイクとアルの2人で制作していたという経緯もあり、この作品を発表してから一緒にライブをする機会が増えていたのだ。 そこへジョニー・ウィンターを売り込んだのがジョニーのマネージャーをしていたスティーヴ・ポールだ。 ジョニーの実力であれば2人と同じステージに立っても見劣りすることはないし、ニューヨークのブルース・ファンにジョニーの存在をアピールする絶好の機会だった。 その腕前を知っていたマイクは、ジョニーをゲストとして歓迎する。 ステージに登場したジョニーはB.B.キングの「イッツ・マイ・オウン・フォルト」を熱演して大喝采を浴びた。 このときのパフォーマンスはのちに『フィルモア・イーストの奇蹟』としてリリースされることとなる。 ライブは大成功に終わり、マイクとアルのファンにも存在をアピールすることができたジョニーだが、もうひとつ幸運なことが起きていた。 この日、会場には『スーパー..
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ヘヴィメタルの閃光⑥〜AC/DC/モーターヘッドほか

★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第377回〜BLACK〜 1970年代後半〜80年代前半、イギリスで起こったNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)をきっかけに世界へ広まった「ヘヴィメタル」。その後、70年代から活躍するハードロックバンドに加え、LAメタル、スラッシュ・メタル、ネオ・クラシカル・メタルなど様々なジャンルが確立。MTVや音楽雑誌を通じて数々の人気バンドやギターヒーローが誕生した。90年代のグランジ/オルタナ時代には時代遅れの対象にされるものの、ゼロ年代からは世代交代を経てシーンが再燃・活性化。音楽に限らず、映画やコミックやデザインなどポップカルチャーに与えた影響は計り知れない。アルバムジャケットに刻まれたバンドのロゴデザインにも注目してほしい。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから AC/DC『Back In Black』(1980) スコットランド出身のヤング兄弟を中心にオーストラリアで結成され、1975年にデビューしたAC/DC。1979年には全米制覇目前にヴォーカリストのボン・スコットが他界。バンドは危機を迎えるが、タフな彼らはブライアン・ジョンソンという強力なヴォーカリストを迎え再始動。この最高傑作を録音した。ヤング兄弟が主導するリフ系ロックンロールの宴。世界で最も売れた最強かつ伝説のロックアルバムの一つ。あれから40年経っても恐ろしいほどカッコイイ。 (こちらのコラムもお読みください) AC/DC〜「どんなパンクス..
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シャイン〜ラフマニノフの難曲を弾き続けた実在する天才ピアニストの奇跡のカムバック

「若いピアニストにとって、ラフマニノフに挑むのは危険な行為だ。気が狂ってダメになる」 長年、クラシックを聴くたびにこんな台詞が頭の中にまとわりついてきた。一体どこから仕入れてきたんだろうか。友人から? 何かの文献? 『シャイン』(Shine/1996)を久しぶりに観て謎が解けた。この映画だ。 オーストラリア出身の実在のピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた『シャイン』には、「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が強迫的な存在として使われている。メランコリックな叙情性に覆われた世界一難しい大曲として知られるこの協奏曲は、近代ロシアの偉大なピアニストであり、作曲家でもあったセルゲイ・ラフマニノフが1909年に作曲したもの。 1873年生まれのラフマニノフは1917年の10月革命の後にスイスに亡命。それから渡米してアメリカを第2の故郷にして、二度と故国の土を踏むことはなかった。そして第二次世界大戦中の1943年に70歳で死去。過剰な甘さ、激しさ、哀しさ、不安などが混ざり合った複雑な技巧を要する旋律の数々を遺した偉大な音楽家だった。 映画の中でも、英国王立音楽院のピアノの権威が若きヘルフゴットに教える時、こう言う。 「1本の手に10本の指があるつもりで弾け。ピアノを押さえ込め。演奏は一つ間違うと大怪我をするから気をつけろ」 また、別の先生は「あんな情熱的な曲は子供には無理だ」。なのにヘルフゴットの父親だけは「いつか弾きこなして父さんを喜ばしてくれ」と言う。 ピアノはいつも父のために弾いていた。父を感動させたかった。僕は父を喜ばせたかった。それがすべてで真実の姿だった。 1..
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8月に去ったレジェンド③〜アレサ・フランクリン/ジェフ・ポーカロ(TOTO)ほか

★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第375回〜RED〜 (8月に亡くなった主なミュージシャン) ロック/ポップ:エルヴィス・プレスリー、レス・ポール、ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)、ロイ・ブキャナン、スターリング・モリソン(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、ジェフ・ポーカロ(TOTO)、イーディ・ゴーメ、スコット・マッケンジー、ローラ・ブラニガン カントリー/フォーク:グレン・キャンベル ブルーズ/R&B/ソウル:ロバート・ジョンソン、ジミー・リード、ライオネル・ハンプトン、アレサ・フランクリン、エスター・フィリップス、アイザック・ヘイズ、キング・カーティス、ポール・ウィリアムズ(テンプテーションズ)、アリーヤ、スティーヴィー・レイ・ヴォーン ジャズ:キャノンボール・アダレイ、ボビー・ハッチャーソン、マックス・ローチ、スタン・ケントン、クリス・コナー その他:レニー・ブルース、ジャック・ニッチェ あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから アレサ・フランクリン『Who’s Zoomin’ Who?』(1985) 2018年8月16日に76歳で亡くなったアレサ・フランクリン。「クイーン・オブ・ソウル」「レディ・ソウル」の足跡は余りにも偉大。本作はそんな彼女の長いキャリアハイライトの一つ。世代交代が一気に進んでいた1980年代のR&B/ソウルシーン。そんな中、人気が低迷していたアレサが時代に歩み寄った復活作だ。今の50歳前後はここからMTVを通じてアレサを知ったという人が..
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モスキート・コースト〜心に刺さるリバー・フェニックスの静かなモノローグ

“情報”や“消費”や“流行”に踊らされることがまだまだクールだった時代がある。日本では1986年〜1991年におけるバブル期がそれにあたる。もちろん惑わされたり、囚われたりしたこととは無縁の人もいただろう。だが都市部(特に東京都心)ではまるでパラレルワールドのように、そうすることが賢明というような空気が街々に確かに漂っていた。 当然、金を持っていること。マーケティングに長けていることが賛美され、そしてスタイリッシュかつ虚飾を気取れる恋愛がもてはやされた。毎日がパーティであること。最新を追求すること。リッチ&トレンディがドレスコードになった。 『モスキート・コースト』(The Mosquito Coast/1986)は、そんな真っ只中の1987年2月(アメリカは1986年12月)に公開された。バブル的価値観とは真逆を行くようなこの映画は、浮かれた人々には到底理解できなかった。しかし、“情報”や“消費”や“流行”といった文明に疲労を感じ取り、人間本来のあり方を夢見始めた人は大きな共感を覚えたはずだ。 こういう考えはインターネットが浸透したゼロ年代以降、特に強くなった感がある。アレックス・ガーランドの小説『ザ・ビーチ』はそんな気分を代弁していた……。 原作はポール・セローが1982年に発表した小説。監督と主演は『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)に続いてコンビを組んだピーター・ウィアーとハリソン・フォード。脚本は『タクシー・ドライバー』のポール・シュレイダー。そして特筆すべきは息子役を演じたリバー・フェニックス。『スタンド・バイ・ミー』(1986)で圧倒的な存在感を示し、本作で..
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ヘヴィメタルの閃光⑤〜クワイエット・ライオット/ラットほか

★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第376回〜RED〜 1970年代後半〜80年代前半、イギリスで起こったNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)をきっかけに世界へ広まった「ヘヴィメタル」。その後、70年代から活躍するハードロックバンドに加え、LAメタル、スラッシュ・メタル、ネオ・クラシカル・メタルなど様々なジャンルが確立。MTVや音楽雑誌を通じて数々の人気バンドやギターヒーローが誕生した。90年代のグランジ/オルタナ時代には時代遅れの対象にされるものの、ゼロ年代からは世代交代を経てシーンが再燃・活性化。音楽に限らず、映画やコミックやデザインなどポップカルチャーに与えた影響は計り知れない。アルバムジャケットに刻まれたバンドのロゴデザインにも注目してほしい。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから クワイエット・ライオット『Metal Health』(1983) ランディ・ローズが以前在籍していたことでも知られるバンドの再デビュー作。USフェスへの出演やMTV、「Cum on Feel the Noize」のヒットの影響もあり、何と全米1位まで登りつめたLAメタルシーンの起爆剤作品。前年にオジー・オズボーンのツアー中に墜落事故死したランディに捧げられた。なお、ヴォーカルのケヴィン・ダブロウは2007年11月25日に死去、享年52。 iTunes Amazon ラット『Out of the Cellar』(1984) クワイエット・ライオ..
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ザナドゥ〜ELOの音楽と伝説のスターが救ったオリビア・ニュートン=ジョン主演作

70年代半ばから80年代前半にかけて、オリビア・ニュートン=ジョンの人気は凄まじかった。ヒットチャートを見てもそれは一目瞭然。4曲のNo.1ヒットと11曲のトップ10ヒットを放っている。可憐なルックスと透明感のある声もあって、日本でも当時ファンだった人は多い。 「Let Me Be There」(1973年/全米6位) 「If You Love Me (Let Me Know)」(1974年/全米5位) 「I Honestly Love You」(1974年/全米1位) 「Have You Never Been Mellow」(1975年/全米1位) 「Please Mr. Please」(1975年/全米3位) 「You’re the One That I Want」(1978年/全米1位)*映画『グリース』 「Summer Nights」(1978年/全米5位)*映画『グリース』 「Hopelessly Devoted to You」(1978年/全米3位)*映画『グリース』 「A Little More Love」(1978年/全米3位) 「Magic」(1980年/全米3位)*映画『ザナドゥ』 「Xanadu」(1980年/全米8位)*映画『ザナドゥ』 「Physical」(1981年/全米1位) 「Make a Move on Me」(1982年/全米5位) 「Heart Attack」(1982年/全米3位) 「Twist of Fate」(1983年/全米5位)*映画『セカンド・チャンス』 映画『ザナドゥ』(Xanadu/1980)は、そんなオリビアが人気絶頂の..
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グレン・キャンベルを偲んで〜ポップスとカントリーの垣根を超越した伝説のミュージシャン

グレン・キャンベルのドキュメンタリー映画『アルツハイマーと僕〜グレン・キャンベル音楽の奇跡〜』公開決定!!! http://wowowent.jp/illbeme/#home 2017年8月8日、テネシー州ナッシュビルの医療施設でグレン・キャンベルが死去した。 翌日、彼の妻キム・ウーレンは次のような声明を発表した。 「非常に残念ですが、グレン・トラヴィス・キャンベルが享年81歳で死去したことをお伝えします。彼は最愛の夫であり、父親であり、祖父であり、伝説的なシンガー、そしてギタリストでした。彼はアルツハイマー病との長く勇敢な闘いを終えたのです。」 グレン・キャンベルといえば、約50年以上にも及ぶキャリアの中で「Rhinestone Cowboy」「Wichita Lineman」「By The Time I Get Phoenix(恋はフェニックス)」などをはじめ、全米チャートのトップ40に21曲ものヒットソングを送り込んだ音楽家である。 現在までに全世界で4500万枚の売り上げを記録しており、1968年にはザ・ビートルズを凌ぐ売上を記録し、同年のCMA最高賞エンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。 2000年、2004年、2008年のグラミー殿堂賞を受賞し、2012年にはグラミー特別功労賞を受賞しており、さらに2005年には“カントリーミュージックの殿堂”において殿堂入りを果たしている。 また俳優として活躍した時期もあり、ジョン・ウェインが映画『True Grit(勇気ある追跡)』(1969年)に彼を出演させた際には、ゴールデングローブ賞新人賞にノミネートされている。 ..
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ボビー・ヘブを偲んで〜色褪せることのない名曲を生んだ男の足跡と「Sunny」の誕生秘話

サニー 昨日、僕はずっと雨の中にいた サニー そして君が微笑み痛みを和らげた 今、暗闇は去り 毎日は晴れ渡ってる 僕のサニー キラキラ輝いて 本当さ 心から君を愛してる サニー お日様の花束をありがとう サニー 僕に道を示してくれた君の愛に感謝してる すべてを捧げてくれたね 僕はすっかり有頂天さ サニー 心から君を愛してる 2010年8月3日、60’sポップスを代表する名曲「Sunny」のヒットで知られる歌手ボビー・ヘブ(享年72)がナッシュヴィルの病院で息を引き取った。 死因は肺ガンとされている。 1939年、彼はテネシー州ナッシュビルで生まれる。 両親は盲目ミュージシャンながら7人の子供達と共に音楽一家として活動をしていた。 彼は3歳の頃に兄達が出演していたタップダンスショーで初舞台を踏む。 12歳の時に『グランド・オール・オブリー』(カントリー・ミュージックの公開ライブ放送でアメリカのラジオ番組として最長寿の番組)に黒人として初出演する。 これはアフリカ系米国人として初の快挙だったという。 十代の頃にその才能を認められてボ・ディドリーの「Diddley Daddy」でバックコーラスを経験。 1962年、23歳になった彼は“ボビー&シルビア”というデュオを結成して音源を残している。 二十代にはジョージ・ハリスンが憧れたギタリストとしても知られるカントリーミュージック界の重鎮チェット・アトキンスに師事して音楽キャリアを重ねてゆく。 1966年、27歳となった彼は自作の楽曲「Sunny」でソロ歌手としてデビューを果たす。 同曲では、当時ソフトロック系のプロデューサーとして活..