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追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

1937年1月30日に長野県で生まれた常田富士男は、6歳のときに父親を戦争でなくした。 それから各地を転々とした後、小学3年時より母の郷里となる熊本県阿蘇郡南小国町で育った。 わずか18軒しか民家がない小さな村で家族は母親と姉弟が7人もいたために、食い扶持を減らす目的で幼い頃から近所の農家に手伝いに行って、炭焼や椎茸作りをして働いていた。 中学卒業後は熊本市に出て印刷所、魚屋、材木屋で働きながら、熊本県立済々黌高等学校の定時制にかよって4年後に卒業した。 その後は上京してサンドイッチマン、キャバレーの呼び込み、後楽園の警備員、寿司屋の見習い、日雇い人夫などをしながら、劇団民芸の養成所に入って芝居の道に進んだ。 チャップリンの映画『街の灯』を見て、おおらかで悲哀がある演技に感激したという。 そしてNHKの連続テレビドラマ「バス通り裏」などに出演した後に、1963年に公開された反体制ミュージカル時代劇を映画化した、東映映画『真田風雲録』に出演して一部で注目を集めることになる。 時代劇のルールを無視したあまりに実験的すぎる表現が多かったことから、公開時には観客から劇場に不満の声が寄せられたという『真田風雲録』だが、必ずしも傑作とは言えない点もふくめて、後に映画青年たちの間で語り継がれて伝説となった。 特に評判になったのは、主題歌だった。 織田信長の謡いけり  人間わずか五十年  夢幻のごとくなりか どうだか知っちゃいないけど  やりてえことをやりたいな  てんでかっこよく死にてえな  人間わずか五十年  てんでかっこよく死にてえな 戯曲家の福田善之が書き下ろした作品の初演時から、..

少年少女を夢のような音楽探求の旅へと誘った伝説の『ミュージック・ガイドブック』

少年少女を夢のような音楽探求の旅へと誘った伝説の『ミュージック・ガイドブック』

いわゆる「洋楽」と呼ばれる音楽の情報入手先が、まだ雑誌やラジオやTV番組、レコード店やライナーノーツくらいしかなかった1980年代前半。(少し個人的な話になるが)中学生だった少年の耳には、歌謡曲やニューミュージックなどの慣れ親しんだ「邦楽」、家の棚で埃まみれになったクラシックのレコード、カセットテープに録音されたイージーリスニング集といったものが音楽のラインナップすべてだった。 そんなある日、少年は本屋の音楽コーナーで一冊の本と出逢う。手に取ったのは『ミュージック・ガイドブック』という400ページ弱の1,200円の分厚い本。本能的に「ここには自分の知らないこと、知りたいことの何かがある!」と思ったのだろう。家に帰って貪るように読んだことを思い出す。マイケル・ジャクソンの『スリラー』やポリスの「見つめていたい」や『フラッシュダンス』が流行り、MTVが開局して間もない1983年のことだ。 『ミュージック・ガイドブック』(写真中央)は、これから壮大な音楽探求へ旅立とうとする少年少女にとっては夢のような書物だった。雑誌「ミュージック・マガジン」の増刊号であり、編集/発行人は中村とうよう氏。ロックの歴史が長門芳郎/小倉エージ/北中正和/大貫憲章氏らによる4章立てで展開された後に、天辰保文氏による日本ロックの流れも綴られる。人名辞典では国内外のアーティストのプロフィールが五十音順に調べられるようになっており、ロック名盤やロック用語集へと続く。ここまでで120ページ。ロックすら知らなかった中学生には完璧な読書体験だ。 しかし、この本の凄いところはこれから。世界中の音楽案内が本格的に始まる。ポ..

追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

ハリー・ニルソン27歳〜類い稀な才能と歌声、TVドラマへの出演

「ハリー・ニルソンはオレの親友だった。」 (リンゴ・スター) 「彼は柔らかで滑らかな美しい声の持ち主でした。言葉の使い方もとてもユニークで独創的でした。」 (オノ・ヨーコ) 「天才だった男の実像。真実はハリーに優しく、ありのままの事実は一度も人に嫌われたことのない男をより魅力的にする。」 (ジミー・ウェッブ) その類い稀な才能と歌声で、2度もグラミー受賞をしているにも関わらず、1度もライヴを行なうことなくこの世を去った才人ハリー・ニルソン。 ビートルズのメンバーと親交が深く、音楽ファンの間では“ビートルズに多大な影響を与えた男”としても知られている。 特にジョン・レノンは彼を高く評価し、一時はポール・マッカートニーの代わりにビートルズに加入するなどの噂が流れたりしたという。 その名を知らずとも彼の残した楽曲は、誰しも一度は聴いたことがあるのではないだろうか? 彼が27歳の時に発表した2ndアルバム『Aerial Ballet(空中バレー)』(1968年)に収録したフレッド・ニールのカヴァー「Everybody’s Talkin’(うわさの男)」が、映画『真夜中のカウボーイ』(1969年)の主題歌として使用され、全米6位まで駆け上がるヒットを記録する。 それは彼が27歳を迎えて半年が過ぎた頃の出来事だった。 1968年の年末、アメリカの某ゴシップ誌のコラムにこんな記事が書かれた。 「フォークロック音楽のシーンでは、この国きってのホットな新人と注目されているハリー・ニルソンが、20世紀フォックスTVの新作ドラマ“ミセスと幽霊”で俳優デビューを飾る。彼はチャートでもヒット..

追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

ラスト・ショー〜スモールタウンの風景で描かれる「語るに足る、ささやかな人生」

そこに住んでいる人以外は誰も知らないような、ごく小さな町が、アメリカには星の数ほどある。「スモールタウン」と呼ばれている。人口は、多くても1万人には満たない。せいぜいが3000人どまり。町のサイズはメイン・ストリートを中心に、縦横にわずか数ブロックほどだ。 こんな文章で始まる一冊の本がある。2012年に惜しくも亡くなったトラベル作家・駒沢敏器氏の『語るに足る、ささやかな人生』だ。作家はアメリカを横断しながら、スモールタウンだけに立ち寄ってこの短編集のような魅力を放つささやかな物語を描いた。 住人どうしが皆顔を知っているから、一定の距離を保ちながら互いを支え合って生きている。小さな町だけにひとりひとりの役割が与えられており、子供から大人まで、皆等しくその街の構成に参加している。 不便さや寂しさに負けそうになる毎日を、自前の努力によって支えて生きているからこそ、彼らはそんな自分を自信を持って他者へ差し出すことができる。このとき怯んでしまうのは田舎の住人ではなく、逆にその姿勢を受ける訪問者の方である。どちらが、よりタフで成熟したまっとうな人生を力強く歩んでいるのか、それは言うまでもない。 スモールタウンを理解するうえで、これほど適切な文章は他に読んだことがない。そしてそこは映画や音楽の舞台として数々の物語を提供してきた。『ギルバート・グレイプ』『ドク・ハリウッド』『ストレイト・ストーリー』『パラダイスの逃亡者』『マイ・ドッグ・スキップ』『プレイス・イン・ザ・ハート』と並んで、書き手はある1本の映画も付け加えている。 ウィスコンシン州の小さな町で出会った中学生の女の子は、こんな..

追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

アメリカン・ポップスの黄金時代を牽引するリーバー&ストーラーが脚光を浴びた「ハウンド・ドッグ」

アメリカン・ポップスの黄金時代を牽引したジョニー・リーバー&マーク・ストーラーが書いた最初のナンバーワン・ヒット、「ハウンド・ドッグ」は1952年8月13日にビッグ・ママ・ソーントンによってレコーティングされた。 2人がこのシンプルなブルースを作るのには15分もかからなかったという。 You ain’t nothing but a hound dog Been snoopin’ ‘round the door You ain’t nothing but a hound dog Been snoopin’ ‘round my door You can wag your tail But I ain’t gonna feed you no more あんたなんか ただの女たらし 入り口辺りを嗅ぎってる あんたなんか ただの女たらし あたしの入り口辺りを嗅ぎってる たとえ尻尾を振ったとしても あんたなんかにエサをあげるつもりはない You told me you was high-class But I could see through that Yes, you told me you was high-class But I could see through that And daddy, I know You ain’t no real cool cat いい身分だなんて言ったって あたしにはお見通しさ そう いい身分だなんて言ったって あたしにはお見通しさ ダディ、あたしはわかるんだ あんたがクールな猫なんかじゃないって 1956年にメジャーのRCAに移籍して「ハート..

追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

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