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追悼・佐山雅弘~忌野清志郎の歌う「ヒム・フォー・ノーバディ」がレクイエムのように聴こえてくる

片山広明の訃報からわずか2日後の11月14日、やはり忌野清志郎に縁があったミュージシャンで療養中だった佐山雅弘が亡くなったというニュースが流れてきた。 享年64。 これもまた早すぎる死であり、残念としか言いようがない。 佐山は国立音楽大学作曲科在学中にピアニストとしての音楽活動を始めて、1984年からはリーダー作として20枚、PONTA BOXとして10枚のアルバムをリリースしてきた。 オリジナルメンバーとしてPONTA BOXで活躍する一方で、作・編曲家としても高い評価を得て、コンサートやTV番組の音楽監督も数多く手がけていた。 彼のホームページにはその日、本人からのメッセージが公に掲載された。 みなさま。佐山雅弘より このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりませんが、長きに亘ってのお付き合いにお礼を言いたくて家人に託しました。 加山雄三とタイガースが大好きな中学生。高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構えた小〜さな小売商を継ぐことに何の疑念も持たないごく普通(以下)の子供がジャズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を送ってしまいました。 まことに人生は出会いであります。 「君の身体は君の食べたモノで出来ている」と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。 その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします。 ありがとう、さようなら 2018年11月14日 佐山雅弘 このラストメッセージを読んでいて思い出したのが、佐山のソロ・アルバム『ヒム・フォー・ノーバディ』のことである。 19..

青い瞳に宿る悲しげな思いと「追悼のメロディ」

 2007年11月15日。 『ダリル・ホールの家からのライブ』という名の番組がネットで公開されるようになった。  スモーキー・ロビンソン、ジョー・ウォルシュ、ロブ・トーマスなどをニューヨーク、ミラートンにある自宅に招いたのは、ホール&オーツで名を馳せたダリル・ホールである。  1972年にレコード・デビューを果たし、「リッチ・ガール」、「ウェイト・フォー・ミー」などの大ヒット曲を持つダリル・ホール&ジョン・オーツは、ブルー・アイド・ソウルと呼ばれるジャンルで、最も成功したMTV時代のアーティストだとされている。  ブルー・アイド・ソウル。  青い瞳のソウル・ミュージック。  どういうわけか、日本人はこの、青い瞳のソウルに弱い。 ♪ こんなに悲しかったことがあるかしら いったい何があなたに起こったの? きっと新しい人を見つけたことが 私のブラウンの瞳をブルーにしないとでもいうの? ♪  1977年。  クリスタル・ゲイルのヒット曲「ドント・イット・メイク・マイ・ブラウン・アイズ・ブルー」の一節である。  ブルー・アイ、青い瞳は、悲しげな瞳と共鳴しあっているのだろう。 ♪ 誰もがいい気になって僕を慰める どうすればいいのかと僕に教えようとする 親父は説教で僕を退屈にさせる でも、明白じゃないか そんなことで慰めになどならないと ♪ 「追憶のメロディ」という邦題がつけられた「シーズ・ゴーン」は1976年、タヴァレスのカバーがヒットしたことでシングルカットされ、全米6位のヒットになった歌だが、この曲が書かれたのは、ホール&オーツがデビューした1972年のことである。  1972..

追悼・片山広明~「まったく、酔うとなにをするかわからないヤツだ」と言いながらも、忌野清志郎が信頼していたバンドマン

「本日テナーの片山広明が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。」という情報が、地底レコードのホームページに掲載されたのは11月12日のことだ。 本日の朝だったそうです。最後は地底レコードでCDをリリースしていました、RCサクセション・渋さ知らズでも活躍したSAXの片山広明が亡くなったとの情報を夕方に知りブッタマゲました。 長年の酒の飲み過ぎでの肝臓ガンですね。キヨシローさんが亡くなる前に死んでいても不思議はなかった片山さんですが、肝硬変が悪化して遂にというかそりゃそうだろと思うぐらい悪くなっていたようですね。 病院を変えて検査を充実させたり、手術をしたり良くしようとは努力していた様子はみてとれましたが、昨夜に具合が悪くなり今朝、息を引き取ったそうです。 ご冥福をお祈りさせていただきます。 片山は自らが率いるHAPPY HOURのアルバム『Last Order』を、今年の7月に4年ぶりでリリースしたばかりだった。 メンバーは片山のほか、石渡明廣(ギター)、早川岳晴(ベース)、湊 雅史(ドラムス)の4人。 訃報を聞いてからあらためてアルバムを聴き直してみると、これが遺作になることをわかって録音したような選曲だということに気づかされた。 全部で6曲が収録されていたのだが、特に後半の3曲はエディット・ピアフの「愛の讃歌」、レナード・コーエンの「ハレルヤ」、美空ひばりの「リンゴ追分」と、いわゆる”歌もの”の名曲が並んでいる。 1. Lady’s Blues 2. Drunkenstein 3. A-zone 4. Hymne a l’amour 5. Hallelujar 6...

P.F.スローンを偲んで〜60年代に活躍した若きソングライターの光と影

2015年11月15日、シンガーソングライターのP.F.スローンがロサンゼルスの自宅で息をひきとった。 70歳で他界するわずか数週間前に膵臓癌と診断されていたという。 60年代、アメリカのポップスシーンにおいて“優秀なソングライター”として功績を残した彼。 その代表作と言えばバリー・マクガイアが歌った「Eve of Destruction(明日なき世界)」と、ジョニー・リヴァースの「Secret Agent Man(秘密諜報員)」だろう。 彼と同様に60年〜70年代に活躍したソングライターの中には、レオン・ラッセルやキャロル・キングのように自らパフォーマーとして表舞台に立って脚光を浴びたアーティストもいる。 しかし…P.F.スローンは彼らのようにステージでスポットライトを浴びることはなかった。 ずっとP.F.スローンを探している 彼の行方を知る者はいない 彼の歌を聴いた者もいない 作詞・作曲・オーケストレーションと三つの部門でグラミー賞を受賞した唯一の人物ジミー・ウェッブは、スローンのことを「僕が音楽家になろうと試みた時に憧れた人」と尊敬し、自身の1stアルバム『Words And Music』(1970年発表)に「P.F.スローン」というオマージュソングを収録している。 1945年ニューヨーク生まれロサンゼルスで育った彼は、13歳でアラディンレコードと契約を結び、1959年に“フリップ・スローン”の名義でレコードデビューを果たす。 エルヴィス・プレスリーに憧れて歌手デビューしたものの…売れない日々をしばらく経験した後、1961年(当時16歳)、アメリカの映画製作会社『ス..

いまを生きる〜「本当の学校教育とは何なのか?」を力強く教えてくれる不朽の名作

「学校教育」の意義が問われ始めてから、もうどれくらいの歳月が経つだろう。進学するための勉強を数値で測ることは、受験システムを強大化させ、必然的に学習塾のニーズを高めた。そしてイジメ問題、親の口出し、経済格差の広がり……学校を取り巻く環境は今も深刻な領域から抜け出せずにいる。「なぜ受験するのか?」という問いに、自分の言葉で明確に答えられる子供など果たしているのだろうか。ほんの一握りでは意味がないのだ。 世界に標準を合わせ、英語教育やIT教育を推進する動きも出てきてはいる。だがそれ以上に必要なのは「生きていく力」「他人を思いやる力」であり、「夢を実現する力」「課題を解決する力」であるべきではないか。例えば、お金の教育やイノベーション教育を導入した方が、日本の未来を担う子供たちは、もっと笑顔で自信を持って一歩目を踏み出すことができるようになると思う。 『いまを生きる』(Dead Poets Society/1989)は、まさにそんな“人間のあり方”を伝えてくれる力強い映画。30年前の作品だが、今もその輝きは色褪せてはいない。 主演は惜しくも亡くなった名優ロビン・ウィリアムズ。そして500人ものオーディションから選ばれたという7人の生徒たち。その中にはイーサン・ホークもいた。監督はピーター・ウィアー。脚本はトム・シュルマンのオリジナルで、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞。 1959年、ニューイングランド州バーモント。森と湖に囲まれ、渡り鳥の大群が舞うほど美しい自然に恵まれたこの地に、全米屈指の名門校ウェルトン・アカデミーがある。全寮制の男子校で創立100年を誇るこの学校は、「伝統・名..
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