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唐十郎が率いる状況劇場の芝居に新宿ピットインで即興による音楽をつけていた山下洋輔

唐十郎が率いる状況劇場の芝居に新宿ピットインで即興による音楽をつけていた山下洋輔

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写真・井出情児
1960年代から70年代にかけての新宿はあらゆる文化が混在し、それらがあちらこちらで接触しては反応を起こすことによって、カオス的なエネルギーがほとばしっている状態にあった。
とくに演劇界では既存のシステムに異を唱える唐十郎の状況劇場、鈴木忠志・別役実の早稲田小劇場、歌人の寺山修司が旗揚げした劇団天井桟敷、蜷川幸雄・清水邦夫の現代人劇場、演劇集団変身から独立した外波山文明のはみだし劇場など、数多くのアングラ劇団が活動していた。
1969年に公開された大島渚監督の映画『新宿泥棒日記』には、気鋭のグラフィックデザイナーだった横尾忠則が主演し、唐十郎の芝居に即興で音楽を演奏するジャズ・ピアニストの山下洋輔も映し出されていた。


山下洋輔のトリオと状況劇場によるジョイント公演は、1967年2 月にジャズ・スポットのピットインで最初に行われた。
ジャズのライブが終わった後から芝居の仕込みが始まり、終電が終わる真夜中になってから開演するという企画は、状況劇場から持ち込まれたものだった。
ピットインを起ち上げた酒井五郎が遺した手記「新宿ピットイン物語」によれば、山下洋輔が恩師と仰ぐジャズ評論家の相倉久人が縁を取り持つ形になったようだ。

 当時はアングラ演劇ブームで、おれも状況劇場や天井桟敷のことは知っていた。だが、芝居そのものは見たことがない。だから、どんな舞台になるのかわからない。それに、「ピットイン」が演劇にふさわしい会場なのかどうかも疑問があった。
 それで、話は相倉(久人)さんにバトンタッチした。その頃の相倉夫人、森文子さんにも相談に乗ってもらったかもしれない。
 最終的には唐十郎が店にやってきて、おれも加わり、相倉さんともども打ち合わせをした。唐十郎は、おそろしく目つきの鋭い男だった。おれはヤクザの目はさんざん見て来ているが、それより鋭い目だと思った。その目に見つめられたおれは、黙ったまま。すべて相倉さんに任せた。
 せっかくピットインでやるのだからジャズメンとの共演にしたいというのが状況劇場サイドの意向で、相倉さんの推薦があって、山下洋輔君のトリオが音楽で加わることになった。当時のトリオは、山下君に本庄重紀、紙上理だったか。


初日は雪の降る夜だったが、夜中の零時近くなってぼつりぼつり客が集まり始めた。
演目は「時夜無銀髪風人(ジョン・シルバー)」で0時半からの開演、狭い店の中に舞台がうまく工夫して作られていた。

 これから何が始まるのか。おれも従業員も関係者も、固唾をのんで見守った。
 しかし、それから始まった舞台は、おれが想像していたのとは全く別物だった。役者は絶叫し、荒れ狂う。まるで戦場だな、とおれは思った。観ていて、おれが襲われるんじゃないか、犯されるんじゃないか。そんな恐怖があった。


翌日からは入場待ちの行列ができるほどの盛況になり、口コミのみで「深夜劇場」という企画が定着していった。

これに自信を得た唐十郎は8月に新宿・花園神社境内を借りて、紅テントを建てて『腰巻お仙―義理人情いろはにほへと篇』を上演する。
このときは神社側から「腰巻きお仙」というタイトルでは差し障りがあるとクレームがあり、直前にタイトルが『月笛お仙』に替えられた。
しかし横尾忠則のポスターなどは「KOSHIMAKI OSEN 腰巻きお仙」のままで、「月笛お仙」と書いた紙が上から貼られていたものの、いつしか元のままになってしまった。
ここから評判になっていった状況劇場だったが、紅テントの中でも山下洋輔がピアノを持ち込んで即興で音楽を付けていた。


写真・井出情児
左奥に置かれたピアノに向かっている山下洋輔の背中と頭が、キャッチアップ画像の写真でもかろうじて判別できる。
その右隣にいて顔が写っているのはサックスの中村誠一、1969年から71年まで第1期山下洋輔トリオで活躍するメンバーである。
ちなみに上半身裸で危険な分銅鎖(ふんどうくさり)を振り回しているのは、後に「大駱駝艦」を起ち上げる怪優の麿赤兒だった。
ピットインは翌68年7月に名前を「シアター・ピットイン」とし、月曜が「人間座」、火曜が「すまけいとその仲間たち」、水曜が「演劇企画集団66」、木曜が「天井桟敷」という具合に、当時の最前衛にあった劇団の公演が次々と行われていった。
そして9月から11月は状況劇場の「続ジョン・シルバー」が、毎週土曜日に上演されるようになった。
しかし、山下洋輔はその直後に急性肋膜炎で倒れて、1年以上もの期間を湘南での療養生活にあてざるを得なくなる。
演奏活動にカムバックするのは1969年のことで、中村誠一と 森山威男(ds)による山下洋輔トリオを結成し、フリー・ジャズに転じて注目をあつめた。
そして1970年代に入ると活動の範囲が広がって、ヨーロッパでもその名を知られるようになっていく。

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