デューク・エリントンを偲んで〜ジャズ界に偉大な功績を残した“公爵(デューク)”の足跡〜

作家の村上春樹は著書の中で、デューク・エリントンについてこんな風に綴っている。 天才というのは往々にして短気でせっかちで短命なものだが、彼はその才気溢れた人生を、まことに優雅に、まことにたっぷりと、まことにマイペースで生きた。 見事に“生ききった”と言うべきか…。 そしてその奇跡的なまでに豊かな音楽的水脈は、広い平野の隅から隅までを、余すことなく潤した。 言うまでもなく、ジャズの歴史にとっては慶賀すべきことである。 <引用元『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)/村上春樹・和田誠著> 1974年5月24日、デューク・エリントンはニューヨーク市内にある病院の一室で静かに息を引きとった。享年75。 癌に冒され死期が近くなってからも病室で作曲を続けていたという。 印税などで莫大な収入を得ながらも、お金のかかるビックバンドを率いて晩年まで旅を続けていたのは、自分の頭の中にあるサウンドをすぐに実演したかったからだと言う。 今日は“公爵(デューク)”の愛称で親しまれ、ジャズ界に偉大な功績を残した彼の足跡をあらためてご紹介します。 デューク・エリントン。 ジャズ創成期の時代に作曲家兼バンドリーダー兼ピアニストとして大活躍した男である。 生涯3000曲以上の音楽制作に携わった彼のレパートリーの中でも、特に「Take the A Train(A列車で行こう)」は、時代を超えて今もなお世界中で親..

ハスラー〜35歳のポール・ニューマンが映画俳優として覚醒した名作

ハスラー〜35歳のポール・ニューマンが映画俳優として覚醒した名作

最初はわざと負け、勝つにしてもギリギリ。相手には「運が良い奴」とだけ思わせる。それから相手を称賛したり、挑発したりして、賭け金を上げさせたところで本領発揮。最後にすべてをかっさらう。これは騙しだ。心理戦だ。まんまとハスラーに仕組まれたのだ。 ハスラーは下調べにも余念がない。金になりそうなカモを探し出して順番をつけたり、その町に何ヶ月も住んで大物の探りを入れることもある。そしてたった1日で彼らから大金を奪っていく。顔が知れ始めたら潮時。静かに町を去るのが怪我をしないための唯一のルールだ。 『ハスラー』(The Hustler/1961)はビリヤードのプールゲームで稼ぎ歩く孤独な男の物語だった。それまでマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンの亜流と評価の低かったポール・ニューマンの出世作として、あるいはトム・クルーズを加えた25年ぶりの続編『ハスラー2』(1986)やそれに続く日本での空前のビリヤードブームといった視点で語られがちな作品だが、実はベンチャー起業家のビジネス書や自己啓発書など足元にも及ばない“人生の教え”が描かれた名作でもある。 原作はウォルター・テヴィスが1959年に発表した同名小説で、監督・脚本はロバート・ロッセン。全編にジャズが流れ、あえてモノクロで撮影。プールの大勝負の舞台はセットではなく、NYにあった本物の店を使用。低予算映画にも関わらず一切の妥協を許さないプ..

デューク・エリントンを偲んで〜ジャズ界に偉大な功績を残した“公爵(デューク)”の足跡〜

5月のナンバーワンアルバム⑤〜『スティング』/ポール・マッカートニーほか

★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第260回〜RED〜 1990年代以降、ビルボードのアルバムチャートは売り上げに基づいた集計方法に変わった。さらにゼロ年代に入るとネット配信が普及してCDやアルバムが売れなくなった。その影響もあって現在のチャートはほぼ毎週のようにナンバーワンが入れ替わり、すぐにトップ10圏外へランクダウンしてしまう(その代わりに年に数枚だけビッグヒットが生まれる)。だが70〜80年代はナンバーワンになること自体が困難で、言い換えればそれらは「時代のサウンドトラック」として確かに機能していた。5月にはどんなアルバムがナンバーワンになったのだろう? あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから サウンドトラック『The Sting』(1973) ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演、ジョージ・ロイ・ヒル監督という『明日に向かって撃て!』のトリオが再び生んだ名作。映画もいいが音楽もいい。スコット・ジョプリンのラグタイムを使うアイデアは当初から監督にあり、ブロードウェイのリハーサル・ピアニストだったマーヴィン・ハムリッシュを起用。これがハマりまくってサントラ盤も大当たりした(5週連続1位)。 iTunes Amazon シカゴ『Chicago VIII』(19..

デューク・エリントンを偲んで〜ジャズ界に偉大な功績を残した“公爵(デューク)”の足跡〜

そこは地獄の入り口。SNSで話題の石川県「ハニベ巌窟院」で小松の石めぐり

「石川県の小松市というと何を思い浮かべますか?」と聞くと、ほとんどの人が「小松空港」「九谷焼」と答えます。その他には大手建材メーカーの「コマツ」の発祥の地といえば「あーっ!」となる方も多いのでは? そんな小松市ですが、実 […] TRiP EDiTOR

京都市内から30分ですぐ絶景。子連れで行ける週末「プチ登山」が人気

京都市内から30分ですぐ絶景。子連れで行ける週末「プチ登山」が人気

今、初心者でも楽しめる「週末プチ登山」が注目されています。丸一日かけて本格的に山登りするのは時間や体力面で難しい方も、観光ついでに気軽に短時間で登山を楽しめるのならと、1〜2時間のライトな山登りコースが人気となっているん […] TRiP EDiTOR

そこは地獄の入り口。SNSで話題の石川県「ハニベ巌窟院」で小松の石めぐり

デビューからたったの1年半でカーネギー・ホールの舞台に立ったビル・ウィザース、そして43年後に再現されたコンサート

2015年10月6日、カーネギー・ホールにはシェリル・クロウやエド・シーラン、元ドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルド、ドクター・ジョンなど錚々たるミュージシャンたちが集まっていた。 それは一人の敬愛すべきミュージシャンを讃えるコンサートであり、43年前の同じ日に同じ場所で開催されたコンサートを再現したものでもあった。 そのミュージシャンの名はビル・ウィザース。 1970年代に数々のヒットを放ちながらも、音楽業界に嫌気が差してしまい、1985年に音楽活動を辞めてしまったという経歴を持つ、黒人のシンガー・ソングライターだ。 彼がロサンゼルスに移住し、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたのは1967年、29歳の頃だ。 30歳を目前にしての一大決心だったが、海軍に9年間もいたこともあって、他のミュージシャンたちよりかなり遅いスタートとなった。 工場で働きつつ、デモ・テープを制作していたビルに転機が訪れるのは1970年。ブッカー・T・ジョーンズにその才能を認められたことで、一気にデビューへの道が開けた。 ブッカーはブッカー・T&ザ・MG’sの中心として名を馳せ、「グリーン・オニオン」をヒットさせたほかにも、スタジオ・バンドとしてオーティス・レディングのバックを務めるなど、60年代のR&Bを支えてきた実力派のミュージシャンだ。 そんなブッカーのプロデュースにより、1971..

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【韓国】BIGBANGファンも巡礼、YG社長が経営する本場サムギョプサル店

成田からソウルまで飛行機でわずか2時間半、日本のお隣「韓国」は、グルメやエステにショッピングと、日本人観光客にも人気の海外旅行先。そんな韓国の首都ソウルから電車で2駅先に位置する「弘大(ホンデ)」エリアは、若者たちが集ま […] TRiP EDiTOR

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LIFE!〜人生で遭遇する“あの瞬間”と偉大なるクレイジーな人たち

映画『LIFE!』(THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY/2013)は、2010年代に公開された映画の中でも極上の1本であることは間違いない。実に味わい深くて、観る者を幸せで優しい気持ちにさせてくれる。原作は1939年に書かれたジェイムズ・サーバーによるわずか12ページの短編で、1947年のハリウッド映画『虹を掴む男』のリメイクだが、監督・主演のベン・スティラーのフィルターを通して、まったく新しく見応えのある人間ドラマとなった。 いい映画というのは、その人にとって何度も観たいと思わせる強い力を持っている。そして観終わった後に心に残る余韻。しばらくその物語のことを考え、自分の人生の活力として生まれ変わってくれるような作品だ。その場だけ楽しめるような大予算超娯楽映画やTV局や広告代理店主導の製作委員会方式の映画をすべて否定するつもりはないが、それでもこういった映画の前では何の力も意味も持たないことが分かる。 雑誌『LIFE』の写真部に管理係として16年間勤務している42歳のウォルター・ミティ(ベン・スティラー)。独身の彼は密かに職場の同僚でシングルマザーのシェリル(クリスティン・ウィグ)に恋心を抱いていて、ネットの恋人紹介サービスを利用しているのも彼女が登録しているからだ。 しかし、内気な彼にはプロフィールに書き込むような体験談や冒険談が何一つない。少年時代に..

デューク・エリントンを偲んで〜ジャズ界に偉大な功績を残した“公爵(デューク)”の足跡〜

眠れぬ夜のために〜B.B.キングのアーバン・ブルースを聴きながら

夜、眠れない…… 誰もが一度は経験したことはあると思う。甘美な眠りをイメージするあまり、焦る気持ちは高ぶり、あるいは余計なことを考えて心配になり、軽く一杯のつもりがつい深酒になってしまう。そうして時計の針だけが進んでいき、気がつけばカーテンの隙間から訪れる朝の陽射しに目が眩む。新しい一日の始まりから疲労と損失のような気分を抱える羽目になる。 アメリカの伝説的な作家スコット・フィッツジェラルドが自身のエッセイ『崩壊』の中でも描いているように、昼間は何でもないことが、深夜になると忘れてきた荷物だって死刑宣告に劣らぬくらい悲劇的な意味を持つ。“魂の暗闇の中では来る日も来る日も時刻はいつも午前3時だ”という、あの有名な一文も綴られた。 映画『眠れぬ夜のために』(INTO THE NIGHT/1985)は、そうした慢性的な不眠症に陥った都会人の夜の出来事を描いた作品だった。 エド(ジェフ・ゴールドブラム)はベッドの中で今夜も眠れずにいる。そのせいか夫婦生活も会社仕事もうまくいっていない。昼下がりに睡魔に襲われた彼は自宅に向かう。しかし寝室では妻が浮気をしていた。 その夜、どうしようもない気持ちに駆られて一人で車を走らせるエド。ハイウェイで向かった先は意味もなく夜のロサンゼルス空港の駐車場。静けさの中で物思いに耽っていた時、突然一人の美女が助けを求めてきた。「このまま早く逃げて。警察には通報し..

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伝説の歌姫・越路吹雪④〜シャンソンとの出会い、ピアフとの出会い

越路吹雪。 彼女は、日本の元号が「昭和」になる前の「大正」の13年(1924年)に生まれた。 戦中から戦後は宝塚男役スターとして活躍し、1951年に宝塚を退団した後は“日本のシャンソンの女王”と呼ばれるまでとなった稀代の歌手である。 独身時代は“恋多き女”といわれ、作家・三島由紀夫の恋人として取り沙汰されたこともある。 作曲家の内藤法美との結婚後は、内藤がステージの構成や作曲などを手がけ、彼女が亡くなるまで連れ添った。 1980年11月7日、胃がんのため56歳でこの世を去った。 彼女にはいくつもの浮世離れした逸話が残っており、その“伝説”は今も語り継がれている。 今回は伝説の歌姫・越路吹雪とシャンソン、そしてエディット・ピアフとの出会いにまつわるストーリーをご紹介します。 ──フランス留学の経験もあり声楽家創作オペラ協会会長でもあった佐藤美子は、越路吹雪が歌うシャンソンについてこんな言葉で礼賛している。 「日本人のシャンソン歌手といったら大半が外国人のマネですが、越路さんは“日本のシャンソン”が歌える貴重な人です。」 越路のシャンソンを聴いて「パリのムードを感じる」と言う人は少ない。 それはまさに、日本語で日本人に聴かせるための“越路シャンソン”だった。 もっと正確に言うと、フランス産のシャンソンを“越路節”という自己流の歌い方で日本風にくずして歌った人とも言える。 越路吹雪の..

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コールマン・ホーキンスを偲んで〜失敗を怖れずに果敢に腕を磨き続けたジャズメンの偉大な功績と足跡

1969年5月19日、“ジャズ・サックスの父”と呼ばれた男コールマン・ホーキンスが肺炎を悪化させこの世を去った。享年64。 スウィングジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、第二次世界大戦後はビ・バップの分野で活躍し、サックス奏者に限らず多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。 “Hawk”や“Bean”という愛称で親しまれた彼は、どんな音楽人生を歩んだのだろう? 今日は彼を偲んで、その偉大な足跡と功績をご紹介します。 1904年11月21日、ミズーリ州のセントジョゼフで産声を上げた彼は、音楽家の母と電気工事作業員の父のもとで大事に育てられたという。 一人息子だった彼は、母親の影響もあって5歳からチェロとピアノをみっちり稽古し、9歳の時にプレゼントにもらったサックスとの出会いをきっかにジャズに興味を持つようになる。 十代の前半にもかかわらず、劇場のオーケストラやヴォードヴィル楽団に駆り出され、周囲の大人達を驚かせていたという。 息子を音楽学校に通わせて、立派なチェリストにしたいと思っていた母親は黒人でも一流の教育が受けられるシカゴへ息子を送り出す。 その後、カンザス州都トペカのハイスクールに進学した彼は、日に日にジャズの魅力に取り憑かれてゆく。 トペカから車で1時間ほど飛ばすと、そこはジャズのメッカと言われたカンザスシティだった。 そこで彼は、ルイ・アームストロングやキング・オリ..

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富士山、鳥居、青い海。西伊豆の絶景「戸田湾」は穴場パワースポット

GWも終わったことで行楽地の混雑も緩和され、長雨の続く梅雨へ入る前の今だからこそ、富士山と駿河湾を望む絶景でちょっとリフレッシュしませんか? ドライブデートや家族旅行、ひとり旅にも最適な伊豆半島の西側にある港町「戸田(へ […] TRiP EDiTOR

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日台友好の原点を探しに。一青妙さんが訪れた「花蓮」に残る日本人移民村

2018年2月に大規模な地震に見舞われた台湾東部最大の街・花蓮。この街の魅力を女優・エッセイストの一青妙(ひととたえ)さんが紹介する当シリーズの4回目は、かつてこの地に暮らしていた日本人移民村の跡や、彼らが信仰のために建 […] TRiP EDiTOR

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一本の電話〜最後のレコーディング

「仕事をくれ、そうしないと死んでしまいそうだ…」 プロデューサーのリック・ルービンが握り直した受話器の向こうで、重くうちひしがれた声が聞こえた。 電話の主の最大の魅力でもある“低く艶のあるバリトンボイス”とは似て非なる渇いた声に、 リックはかける言葉も見つけられないまま頷くしかできなかった。 2003年5月15日、ジョニー・キャッシュの最愛の妻ジューン・カーター・キャッシュが天国に旅立った。 程なくしてジョニーとリックの二人はスタジオに籠りアルバム制作に没頭する。 ジョニーは喪失の悲しみと真正面から対峙しながら、自らの人生、そしてキャリアのすべてをそこに刻み込むかのように歌った。 そしてジューンの死から僅か120日後、彼女を追うようにジョニーも逝った。 正真正銘、最後のレコーディングとなったこの『American 5: A Hundred Highways』は、 2006年7月4日のアメリカ独立記念日に発売され、全米初登場No.1を獲得した。 このアルバムにはジョニーが死の数日前に書き上げ、最後に歌ったオリジナル曲「Like The 309」が収録されている。 それはまるで自分の死に対する餞(はなむけ)のような内容だった。 もうじき死神ってやつに会うことになるだろう 309(汽車)に乗ってここから出て行くのさ 彼の死後、同アルバムに収録された※「God’s Gonna Cut ..

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追悼・西城秀樹~『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」を作った小林亜星との出会いは『寺内貫太郎一家』

1999年から2000年にかけて放送されたフジテレビ系アニメ『∀(ターンエー)ガンダム』で、ストーリー前半のオープニング主題歌「ターンAターン」を歌ったのは西城秀樹だった。 監督の富野由悠季が井荻麟のペンネームで作詞した「ターンAターン」は、CMソングの「レナウン・イエイエ」や「日立グループ・この木なんの木」「ファミリーマート」、「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」「狼少年ケン」「ユカイツーカイ怪物くん」でも知られる小林亜星が作曲した。 それを歌うことになったきっかけは、四半世紀前に二人が共演したテレビドラマ『寺内貫太郎一家』が、1999年2月に舞台化されたことだった。 西城秀樹の言葉を引用する。 舞台をはじめる直前、食事をしているときに「ガンダムの主題歌をやってくれないか?」と。 そのときは、まだ曲も完成していないし、僕自身、「ガンダム」という作品を知っていたが観たことはなかった。 それで映画版の最初の「ガンダム」を観て、「メッセージ性の強い、ヒューマンな話だな」と思いまして、やらせていただくことに。 (『∀ガンダム フィルムブック[1]』角川書店) しかし詞をはじめて見せてもらっても、詞のテーマが大きな愛だということはわかっても、「ターンAターン」という言葉が理解できなかったという。 それで録音のときに富野監督に聞いたら、2時間かけて話してくれましてね(笑)。 とっ..

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ナイトプールで楽しんだあとは、そのままお泊りしちゃえるよ

昨年、インスタ映えすると若い女性の間で「ナイトプール」が大変な人気になりましたね。ナイトプールは、ホテルなどのおしゃれなイルミネーションで飾られた夜のプールで、水着でスワンに乗りながら、フォトジェニックな写真を撮影して楽 […] TRiP EDiTOR

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ブルーズやカントリーの歴史的録音が相次いだ1928年、ベルリンで『三文オペラ』初演

「TAP the CHART」116回は、1928年を取り上げます。 【1928年のTOP 10 HITS】 ❶Sonny Boy / Al Jolson ❷Ramona / Gene Austin ❸My Angel / Paul Whiteman ❹Jeannine (I Dream of Lilac Time) / Gene Austin ❺Among My Souvenirs / Paul Whiteman ❻Ramona / Paul Whiteman ❼Together / Paul Whiteman ❽There’s a Rainbow Round My Shoulder / Al Jolson ❾Laugh, Clown, Laugh! / Fred Waring & the Pennsylvanians ❿I Can’t Give You Anything But Love (Dear) / Cliff Edwards *参考/Joel Whitburn監修『Pop Memories 1900-1940』。ナンバー1ヒットのうち、1位の獲得週が多かったもの順に掲載(同点の場合、チャートに留まった週が多い方を優先)。 【1928年の主な音楽的出来事】 ◯ポール・ホワイトマン楽団がヒットを連発。 ◯ヘレン・ケインの「I Wanna Be Loved B..

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エレキギターと椎名林檎の「ギブス」、若者のロック離れとロックの初期衝動

音楽ファンに衝撃をもたらした「ギブソン経営破綻か」というニュースをめぐって、朝日新聞の「耕論」というページに3人の識者による見解が取り上げられたのは5月15日だった。 高級エレキギターで知られる米ギブソンが経営破綻した。若者のロック離れが言われるなか、エレキが音楽シーンにおいて「永遠の詩」だった時代は終わるのか。 そのなかで椎名林檎の発言をまとめた「楽譜には書けぬ情動がある」という見出しの記事には、エレキギターの本質のみならず、ロックもしくは音楽の本質までもがわかりやすく語られていた。 幼いころから「型」が決まっているピアノやクラシックバレエをならっていた椎名林檎は、「型」を学べば学ぶほど「型破り」の尊さや難しさを思い知ったという。 だから「型」になる以前の「初期衝動」を具体的な音としてエレキギター鳴らすことができる点において、時代が移り変わっても廃れないと考えているように思える。 掛け持ちでいくつものバンドをやっていた高校生のころから、椎名林檎はエレキギターに担ってほしい役割を決めていたとも述べていた。 それは「いらだち」「怒り」「憎しみ」「やり場のない悲しみ」‥‥、そういった「負の感情」の表現をすることであり、そこにはノイズをともなうエレキギターならではの歪んだ音色が必須だったという。  エレキのプレーは音符に表した途端に面白みを失います。音色一発の魅力ありきだから。実際には..

デューク・エリントンを偲んで〜ジャズ界に偉大な功績を残した“公爵(デューク)”の足跡〜

フリマがおしゃれに進化。全国から本格アンティークショップが集結

まるで外国やおとぎ話の世界のようなおしゃれな蚤の市が、増えてきています。これまでフリーマーケットといえば、不用になった子供服や日用品などを主婦が公園のシートに並べて出品しているイメージでしたが、最近では、全国のプロのアン […] TRiP EDiTOR

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cero──未知なるポップ・ワールドへと誘う、刺激的かつエレガントな傑作が完成

髙城晶平(ボーカル、ギター、フルート)、荒内佑(キーボード、サンプラー、コーラス)、橋本翼(ギター、コーラス)の3人からなるグループ、cero。2015年にリリースされた3rdアルバム『Obscure Ride』では、ネオ・ソウルやコンテンポラリーなジャズからの影響をダイレクトに反映させたサウンドを繰り広げ、大きな反響を集めた彼ら。 2016年にはシングル「街の報せ」でNYを拠点に活躍するジャズ・トランペッター黒田卓也とのコラボレーションを展開。また同年冬のツアーからは、以前よりサポートで参加していた厚海義朗(ベース/GUIRO、OishiiOishii 他)、光永渉(ドラム/チムニィ 他)によるリズム隊に加えて、CRCK/LCKSやdCprGなどでも活躍する小田朋美(キーボード、コーラス/)、シンガー・ソングライターの古川麦(トランペット、コーラス)、角銅真実(パーカッション)といった個性あふれる実力派ミュージシャンを迎えた新編成でライブ活動を行ってきた。 約3年ぶりのフル・アルバムとなる『POLY LIFE MULTI SOUL』は、ライブをサポートしてきたメンバーがレコーディングに参加。前作から続くブラック・ミュージックや現行ジャズへのアプローチは引き継ぎつつ、アフロ・ファンク、トロピカリズモ、サイケデリア……と、多様なジャンルやリズムを貪欲に取り入れては、それをライブを共に..

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